もしF-14がF-4の競合だったらどうなったかchatgptに考察させた
本文
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 1960年代にいきなり現れた「出来すぎた完成形」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
F-14の変さを一言で言うと、「時代に対して完成度が高すぎた」ということだと思う。
1950年代末の時点で、米海軍が抱えていた頭痛のタネは、ソ連長距離爆撃機と対艦ミサイルだった。
北極圏や極東からTu-95やTu-16がちまちまやってきて、そこからAS-1だAS-2だといった初期対艦ミサイルをばら撒かれる。
これを、艦隊近傍で迎撃していたら間に合わない。
「もっと外側、できれば数百キロの外周で叩き落としたい」という発想が、TalosやTerrierといった艦対空ミサイルの開発につながり、そこからさらに、「母艦から切り離しても同じことをやらせたい」という欲望が、VFX構想=F-14につながった。
その結果として生まれたのが、あのバカみたいに大きいAN/AWG-9と、これまたバカみたいに高価なAIM-54フェニックスである。
最大24目標同時追跡、6目標同時攻撃、パルスドップラーでのルックダウン・シュートダウン、当時としては桁が一つおかしい性能。
今の感覚で言うと、「いきなりAESAとデータリンクとアクティブAAMを揃えて出てきた」ぐらいのインパクトがあったと想像してもらえばいい。
そして、この怪物レーダーを載せるためのプラットフォームとして、可変後退翼の双発機F-14が設計された。
大出力レーダーを鼻先に押し込み、その後方に複座コクピット、そのさらに後ろに広い燃料スペースと双発エンジン、翼は低速着艦から超音速巡航までこなすための可変翼。
本質的に、「レーダーとミサイルのための台車」でありながら、同時に格闘性能も妥協しないという、欲張りにもほどがあるコンセプトだった。
普通なら、こういう「全部盛り」はどこかで破綻する。
電子機器が当時の技術水準では安定しないとか、可変翼のヒンジが疲労で死ぬとか、整備が追いつかなくて稼働率が半分以下になるとか。
実際、AWG-9も可変翼も、トラブルがなかったわけではないが、それでも1960年代前半の段階で「一応実用になるレベル」にまで持ってきてしまったのが、この機体の怖いところだ。
ここで重要なのは、海軍が「F-4ファントムIIで満足しなかった」という点だと思う。
当時、空軍も含めてF-4は「そこそこ何でもできる便利屋」として評価されていた。
高速で、兵装搭載量も多く、戦闘機にも爆撃にも使える。
それをよそに、海軍は「いや、艦隊防空は別枠。もっと遠くで、もっと一方的に殺せる奴が欲しい」と言い出して、VFX=F-14を通してしまった。
その結果が、「F-4はあくまでマルチロールの第2線、外周制空・防空の主役は最初からF-14」という現在の歴史になる。
F-14が「ファントムの後継」ではなく、「最初からファントムを食いに行った怪物」だった、というあたりを意識して眺めると、この機体の性格がだいぶ見えてくる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ ベトナムの空に現れた「場違いな第4世代」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、問題のベトナム戦争である。
1964年のトンキン湾事件前後から、海軍の空母航空団には順次F-14A初期型が配備され始めていた。
Yankee Stationに並んだ空母の写真を見ると、艦首側のカタパルトに並んでいるシルエットの中に、すでに「グラマラスなトムの影」が混ざっているのが分かる。
当時のモノクロ写真だとF-8やA-4とごっちゃになりやすいが、よく見ると、あの前翼端のグローブ部分の膨らみと、太い胴体、でかい垂直尾翼が紛れもなくF-14だ。
ただし、この時期のF-14は、まだ「艦隊防空機」としての顔が強かった。
制空任務もこなすが、基本的には空母打撃群の外周でCAPを張り、北から飛んでくるかもしれないTu-16やIl-28を想定した訓練が中心。
海軍内部でも、「ベトナム上空を飛び回っているMiG-17やMiG-21なんて、わざわざフェニックスで撃つ相手じゃない」という空気が、最初は確かにあったらしい。
ここで現場と上層の意識がズレていた。
現場のパイロットにしてみれば、「どうせ飛ぶなら一機でも多くMiGを落としたい」「フェニックスの実戦データも欲しい」。
上の方は、「フェニックスは一発いくらだと思ってるんだ」「保持数も限られている、対爆撃機用の最後の保険だ」と、なかなか使用許可を出さない。
さらに面倒なのが、有名な交戦規定(ROE)である。
基本的には、「目視で敵機と確認するまでは撃つな」でガチガチに縛られていた。
いくらAWG-9の画面に、GCI情報と照合されたMiG-21のシンボルが映っていようと、IFFが沈黙していようと、「人間の目で見てミグだと確認するまではダメ」というやつだ。
その結果、初期のF-14は、見た目こそ場違いなほど近未来的なのに、やっていることは意外とオーソドックスだった。
高高度でCAPを張り、MiGの接近はAWG-9でいち早く掴むが、実際の交戦距離はAIM-7/9+20mmバルカンがものを言う範囲。
MiG-21が低空から這い上がってきても、「ルックダウンで先に捕捉して、有利な位置取りで待ち構える」というアドバンテージに留まっていた。
この構図が大きく変わるのは、1967〜68年あたりからだと言われている。
北ベトナム側のMiG-21配備が進み、SA-2 SAMとの連携も上手くなってきた頃。
米側はProject TeaballやCombat TreeでMiGのIFF信号や通信を拾って戦場の見える化を進め、海軍側でもAWG-9を軸にした「空飛ぶCIC」的な運用が模索されるようになっていた。
つまり、レーダー画面の上では「どいつがMiGで、どいつが味方か」がかなりの確度で分かるようになってきたわけだ。
にもかかわらず、「目で見ろ」の一言でBVR射撃を封じられている現場のフラストレーションは、相当なものがあったという。
一部のパイロットの回想録では、「AWG-9の画面を見ていると、MiGの上昇パターンが手に取るように分かるのに、わざわざ近寄って、SAMの傘の中に突っ込んでから撃たされるのは狂気だった」と書いているものもある。
そんな中で、フェニックスの封印が「条件付きで」解かれたとされる有名なエピソードがいくつかある。
例えば1968年3月某日、ハノイ近郊に対する大規模ストライクの護衛に就いていたF-14のペアが、離陸直後に上昇してくるMiG-21編隊を、AWG-9のTWSで120km手前から捕捉したケース。
TeaballとCombat Treeの情報によって、それが敵であることはほぼ確実で、味方機はその高度帯・方角には一切いないと確認されていた。
地上からの許可が出るまで、後席のRIOは何度も「本当に撃っていいのか」を確認し、それでもなお上からは「もう少し詰めろ」と言われたと、当事者は後に愚痴っている。
それでも、最終的にこのケースでは、距離80km付近で「条件付きBVR射撃」が許可され、二機のF-14から合計4発のAIM-54が発射された。
結果は諸説あるが、ソ連側の資料ではこの日MiG-21を二機失ったことが記録されており、アメリカ側の戦闘報告では「レーダー上で二つの反応が消失し、その後目視でパラシュートと残骸が確認された」とある。
つまり、少なくともこのケースについては、フェニックスによる「目視前撃墜」が現場レベルでは達成されていた可能性が高い。
面白いのは、北ベトナム側のパイロットの証言だ。
戦後に聞き取り調査されたMiG-21パイロットの中に、この時期に「何も見えないうちに編隊の前を飛んでいた機が突然爆散し、自分の機体も衝撃波と破片でダメージを受けた」と話した者がいる。
RWRは激しく鳴っていたが、上空を見上げても何も見えず、気づいた時には爆炎だった、という証言で、米側の記録と妙に噛み合っている。
こうしたケースは、戦争全体から見ればごく一部に過ぎないが、「MiG-21を低空から這い上がってくる前に、遠距離のPDレーダーで掴み、RWRも鳴り切らないうちにAIM-54で殴り殺す」という、F-14本来の怪物性が垣間見えた瞬間でもあった。
ただし、これが「日常」になることは最後までなかった。
政治的なリスク、IFFや誤認識の恐怖、フェニックスの高価さ、補給上の制約。
それらを全部飲み込んでまでBVR無双を許容するだけの度胸を、当時の米政府や統合参謀本部は持っていなかったということだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ それでもMiGから見れば「チート機」だった理由
―――――――――――――――――――――――――――――――――
では、「フェニックス撃ちまくり」が解禁されなかったF-14は、ベトナムの空でどの程度「最強」だったのか。
ここで、MiG-21側の事情を少しだけ眺めておく必要がある。
北ベトナム空軍のMiG-21は、ソ連・中国からの供与と教官派遣によって運用されていたが、その戦術の柱はあくまでGCIだった。
高度なミッションコンピュータもなく、RWRも初期型はかなり原始的で、パイロットは地上レーダーの指示に従って「この高度、この方位、この速度で行けば敵とぶつかる」という形で敵編隊の前方に投げ込まれる。
成功パターンとしては、「米側のレーダーカバーに穴がある低高度から接近し、突如として上昇してAIM-7の死角に飛び込み、短距離ミサイルか機関砲で一撃離脱する」というのが定番だった。
F-4相手であれば、これでそれなりにイーブンに渡り合えた。
F-4の初期型は内蔵機関砲がなく、ミサイル信頼性も低かったため、「近距離に持ち込んでしまえばMiGの方が分がある」という感覚をMiG側に与えてしまったからだ。
ところが、相手がF-14になるとこの前提が崩れる。
まず、接近段階から違う。
低空を這うMiG-21を、AWG-9はかなり早い段階で「地表反射から抜き出して」検出する。
ルックダウン能力というのは、紙の上では単なるスペック表の一行だが、実戦では「低空を選んでも安全とは限らない」という心理的圧力を敵に与える。
さらに、接近してドッグファイトになったとしても、F-14はF-4とは別物だ。
可変翼を前に振り出したトムキャットは、低速域での迎角性能と瞬間旋回性能が高く、高AoAでもそれなりにコントロールが効く。
そこに最初から内蔵されている20mm M61バルカンが加わることで、「ミサイルが外れた後の最後の頼み」が、ちゃんと牙を持っている状態になる。
ベトナム後期の統計を眺めると、F-14のMiG撃墜のうち、意外と「機関砲によるキル」が多いことに気づく。
MiG-21が死に物狂いの急旋回で背後を取ろうとしても、トム側が一瞬だけ翼を前に振り出して鼻を無理矢理ねじ込み、そこでバルカンをショートバースト、というパターンが何度も繰り返されたらしい。
MiG側からすると、「F-4時代のセオリーが通用しない」相手だったはずだ。
加えて厄介なのが、複座であるということ。
前席のパイロットが機動に集中していても、後席のRIOはAWG-9と目視で周囲の状況を常に監視している。
MiG-21の得意技である「死角からの奇襲」をやろうとしても、背後の上方から静かに回り込んでくる別のF-14の存在に最後まで気づけなかった、という証言は少なくない。
このあたりを総合すると、「フェニックス無双がなくても、MiG-21から見たF-14は十分にチート機だった」と言っていいと思う。
MiG-21側は、低空でも高空でも、遠距離でも近距離でも、相手の土俵に引きずり込まれてしまう。
唯一の救いは、「トムは数が少ない」「常に上空にいるわけではない」という点だけだった。
だからこそ、MiG側はF-14に出会わないように戦おうとした。
GCIの指示も、「今日はF-14のCAPがここに張られているから、別方向からF-4を狙え」といったニュアンスがだんだん強くなっていったという。
F-14は、戦果の数字以上に、「敵の戦場行動そのものを歪めた存在」だったと言えるかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 空軍版トムキャットと「長距離迎撃」という幻想
―――――――――――――――――――――――――――――――――
海軍でこれだけ暴れたF-14を、空軍が放っておくはずはない。
ただし、空軍が欲しがったのは「ベトナムでMiGと殴り合うトム」ではなく、「北米防空の切り札としてのトム」だった。
結局導入されたのは、例のF-14A(USAF)──通称「ランド・キャット」である。
艦載装備の一部を省略し、脚まわりやアレスティングフックを簡略化した陸上基地版トム。
見た目はほぼ一緒だが、細かいところで違う。
空軍らしく空中給油プローブもブーム対応に改修されていたりして、海軍ファンからは「なんか違う」と不評だったアレだ。
このランド・キャットが本領を発揮したのは、アラスカやカナダ境界、アイスランドなど、いわゆる「Tu-95が遊びに来るルート」だ。
ここでは、フェニックスはようやく本業をさせてもらえた。
AWG-9で200km先のベアを捕捉し、必要とあれば100km以上の距離からフェニックスを投げてやる。
本当に撃つかどうかは別として、「撃てる」という事実だけで、ソ連側のベア乗りたちには十分なプレッシャーになっただろう。
ただし、この「長距離迎撃」というコンセプト自体が、後に幻想であったことが露呈していく。
敵の爆撃機と巡航ミサイルがステルス化し、低高度侵入と地形追随を徹底するようになると、AWG-9とフェニックスの射程の長さだけではどうにもならない局面が増えていったからだ。
さらに、地対空ミサイルやAWACSとの連携が発達すると、「戦闘機一機に全部盛りするより、システム全体で防空を考えた方が効率がいい」という発想が強くなっていく。
その意味で、ランド・キャットは「長距離迎撃という夢の最後の華」だったのかもしれない。
北の空でベアを追い回すには完璧なツールだったが、戦場全体のトレンドはすでに別のところに向かっていた。
空軍は結局、トムを本命にはせず、F-15とF-16という「より軽量で、より戦術的な」制空・攻撃機に主力を移していくことになる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 戦訓としてのトムキャット:トップガンと「ミグ狩り伝説」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ベトナム戦争の教訓といえば、FWS、いわゆるトップガンの話を抜きには語れない。
ここでもF-14は、海軍の「自己矛盾」を一身に背負った存在だった。
一方では、AWG-9+フェニックスという、BVRで敵を粉砕するためのシステム。
他方では、MiG-21との近距離格闘戦で痛い目を見た経験から、「格闘性能の大事さ」が再認識される。
その結果生まれたのが、「BVRもやるし、格闘もやるし、なんなら爆弾も持つ」という、欲張りすぎたトムキャット像。
トップガンの初期教範を読むと面白い。
そこには、MiG-21を模したアグレッサー機に対して、F-14がどのレンジで優位を取れるか、細かい数字が山ほど並んでいる。
正面からの場合、サイドからの場合、上方からの場合。
可変翼角度何度、速度いくつ、迎角いくつで進入すると、相手のどの動きに対してどうカウンターを取れるか。
教範だけ読むと、「これは格闘戦専用の教科書なのか」と勘違いするぐらいだ。
つまり、現場の感覚としては、「AWG-9やフェニックスはあくまでボーナス。最後は結局、旋回と銃だ」という悟りがあったのだと思う。
MiG-21の低空匍匐をPDレーダーで捉え、遠距離から殴り殺せるポテンシャルを持ちながらも、それが政治やルールで封じられている以上、現場は「今あるルールの中でどう勝つか」を突き詰めるしかない。
その結果、F-14はベトナム後期には、MiG-21に対してかなり一方的な優勢を確立する。
数字の上では、MiG-21との撃墜比が10:1を超えた時期もあったと言われているが、重要なのは単なるキルレシオではなく、「MiG側がF-14に会いたがらなかった」という点だ。
敵に行動パターンを強制できる戦闘機は、それだけで戦略的価値がある。
このあたりから、「ミグ狩り伝説」が半ば都市伝説的な形で広がっていく。
某年の某空母航空団で、F-14が一日でMiG-21を六機落としたとか、某クルーズでのスコアボードに描かれたキルマークの数があまりにも多すぎて写真撮影が禁止されたとか、
AIM-54をフル装填したトム三機が、MiG-21の大編隊を遠距離からバラバラにしたとか、
どこまで本当でどこから盛っているのかよく分からない話が、パイロットの間でもオタク界隈でも飛び交うようになる。
個人的には、真偽はさておき、こうした「ホラ話」が湧いてくる時点で、その機体がどれだけ愛されていたかが分かる気がする。
F-14は、数字の上でも最強クラスだったが、それ以上に「物語の中で最強」として扱われる機体になっていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 「ボムキャット」以前の話──爆弾を抱いた怪物
―――――――――――――――――――――――――――――――――
80年代以降のF-14といえば、どうしても「ボムキャット」のイメージが強い。
LANTIRNをぶら下げて、レーザー誘導爆弾を高精度で投下し、制空と攻撃を一機でこなす万能機。
ただ、ここでもベトナムの影は濃く残っている。
ベトナムでのトムキャットは、初期こそ制空専門だったが、戦争後半には「余力があるなら爆弾も載せろ」という現場判断で、対地攻撃任務にもしばしば投入されていた。
AWG-9の地上マッピング能力や、長大な航続距離を活かして、「制空+ポッド爆撃」という今で言うマルチロール的な動きをしていたわけだ。
当時はまだLGBの精度も運用ノウハウも未成熟だったが、それでも「制空機に爆弾を持たせる」という発想は、この頃から芽生えていた。
このあたりが妙に早熟だったせいで、後のホーネット導入時に、「トムで全部できるのに、なんであえて小さい機体に分けるのか」という疑問が現場から出た、という話も聞く。
結局のところ、F-14は開発コンセプトからして「盛りすぎ」だったのだろう。
フェニックスで爆撃機を落とし、サイドワインダーとバルカンでMiGを落とし、爆弾を抱えて橋やSAMサイトを叩きに行く。
そんな芸当を一機種に押し付けていたら、そりゃあ整備も運用も大変になる。
今になって振り返ると、「F-14で味をしめた海軍が、その反動でF/A-18みたいな“ほどほど万能機”に逃げた」のも分からなくはない。
トムはあまりにもヘビーすぎた。
予算的にも、整備人的にも、政治的にも。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ イランのトムと「別の戦争」の記憶
―――――――――――――――――――――――――――――――――
F-14の戦歴を語るとき、どうしても忘れられがちなのがイラン空軍のトムだ。
こちらはベトナムとは全く別の戦場、イラン・イラク戦争の空でその牙をむいた。
イランのトムは、アメリカ本家以上に「フェニックス頼み」の運用を徹底していたと言われる。
広大な砂漠と山岳、長大な国境線。
敵はイラク空軍のMiG-21/23、そして後にはミラージュF1なども混ざってくる。
ここでは、政治的なROEよりも、「国境線上空に味方機は入れない」「怪しい反応は全部敵扱い」という割り切りがしやすかったこともあるのだろう。
有名なのは、イランのF-14が一度の出撃でMiG-23を四機まとめて撃墜したとされる事例だ。
AWG-9のTWSで複数目標を捕捉し、フェニックスを順に投げていく。
MiG側は「高高度から下りてくる何か」に気づく前に爆炎に飲み込まれた、とされる。
もちろん、イラン側のプロパガンダも混ざっているので、数字は割り引いて聞く必要があるが、それでも「フェニックスを本気で振り回した戦争」という意味で、イラン・イラク戦争は貴重なケーススタディだ。
ベトナムでは政治やROEに縛られたF-14が、ここでは「国土防空の最後の牙」として自由に暴れている。
イラン空軍関係者の回想を読むと、「フェニックスは高価だったが、それで守れた都市や油田の価値を考えれば、安い買い物だった」と平然と書いてあったりして、価値観の違いを感じさせる。
イランのトムの話まで入れ始めるとキリがなくなるので、このへんで切り上げるが、
少なくとも、「MiG-21をPDレーダーで捉えて超遠距離から撃破する」というF-14の本来想定されていた使い方が、一番素直な形で実現したのは、皮肉なことにペルシャ湾岸の空だったのかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
■ F-14という「時代のねじれ」の象徴
―――――――――――――――――――――――――――――――――
だらだらと書いてきたが、最後に少しまとめておきたい。
F-14はよく、「早すぎた第4世代」とか「最後の艦隊防空戦闘機」とか、いろんなキャッチコピーで語られる。
ベトナムの空でMiG-21を狩り、北の空でベアを追い回し、ペルシャ湾でミラージュと殴り合い、最後はボムキャットとして地上目標を精密爆撃した。
どの局面を切り取っても絵になりすぎて、逆に全体像がかすんでしまうくらいだ。
今回あえて、1960年代からの流れを執拗に追い直してみて感じたのは、
この機体はやっぱり、「時代のねじれ」の象徴だということだ。
技術的には、AWG-9もフェニックスも可変翼も、当時としては明らかにオーバースペックだった。
政治的には、そのオーバースペックを全力で振り回すことは最後まで許されなかった。
戦術的には、結局のところ「旋回と銃」がモノを言う場面も多かった。
運用面では、整備と予算の負担が重すぎて、「これ一機種で全部」は無理があった。
それでもなお、F-14が「最強」と呼ばれ続けるのは、
そうした制約や矛盾を全部抱え込んだ上で、それでもなお敵にとっては悪夢のような存在であり続けたからだと思う。
低空を這うMiG-21を、PDレーダーのTWSで捉え、
彼らのRWRが状況を理解する前に、視界の外からフェニックスを叩き込む。
あるいは、ミサイルが使えない距離まで詰めてしまったら、翼を前に振り出して、20mmを叩き込む。
そのどちらの絵も、「トムキャットならあり得る」と思わせてしまう説得力がある。
2000年代の今、F-14はすでに米海軍から退役し、博物館やスクラップヤードの片隅で静かに佇んでいる。
可変翼をたたんだ姿は、どこか古い世紀の怪物のようで、
最新のステルス機たちの滑らかなラインとは明らかに違う、ゴツゴツとした存在感を放っている。
それでも、ベトナムや北の海やペルシャ湾の空の写真を眺めるたびに、
あの、翼をゆっくりと広げながらターンインしていくシルエットの向こうに、
AWG-9のグリーンのスコープと、フェニックスのシーカーと、MiGのRWRが悲鳴を上げる音を、つい幻聴のように重ねてしまう。
F-14は、紙の上のスペック以上に、「物語」として完成しすぎているのだ。
そういう意味で、この機体はやっぱり、
軍事オタクにとっては一生つきまとってくる「原点にして業」のような存在なのだろう、と、
古い写真集と退役パイロットの座談会録と、黄ばんだ航空雑誌の切り抜きを並べながら、あらためて思うのでした。