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chatgptにヨルシカの曲について考察させた
2025-11-10 01:59:54
ヨルシカの「爆弾魔」と、軍歌「爆弾三勇士の歌」。 片や2010年代のネット発ポップス、片や1930年代の国家総動員体制を彩ったプロパガンダ軍歌。ところが歌詞をじっくり読み比べ、歴史を引きずり出し、ついでに日本近代文学まで引っ張り出してくると、「これはもう、つながっているとしか思えない」と言いたくなる奇妙な連想の回路が見えてきます。 一 「爆弾三勇士の歌」──国家が作った爆弾神話 まずは年代の古い方から整理しておきます。「爆弾三勇士」とは、1932年の第一次上海事変で、中国軍陣地前に張り巡らされた鉄条網を破壊するため、爆薬筒を抱えて突撃し、その爆発で戦死した日本陸軍工兵三名の兵士を指す呼称です。江下武二・北川丞・作江伊之助という三人の一等兵が、自らの身体ごと爆薬を敵陣に投げ込んだ美談として報じられ、のちに「爆弾三勇士」「肉弾三勇士」として全国的に神格化されました。 ウィキペディア +1 新聞各紙は彼らを「軍神」として持ち上げ、大量の記事・写真・絵葉書・映画・講談が生まれます。その流れのなかで、歌として大ヒットしたのが「爆弾三勇士の歌」です。この軍歌は、大阪毎日・東京日日新聞の募集により選ばれた与謝野寛(与謝野鉄幹)作詞、辻順治作曲の作品で、1932年に発表されました。 ウィキペディア +1 歌詞はユーザーさんが貼ってくださった通りですが、その骨格を改めて言葉でなぞると、こんな構図が浮かび上がります。舞台は上海郊外・廟行鎮。凍てつく如月二十二日の午前五時、敵陣前の鉄条網を破壊し、歩兵の突撃路を開くべく、工兵たちに命令が下る。とりわけ「江下 北川 作江」の一組は、天皇の大御稜威と国民の期待を背負っているという自覚に燃え、「鉄より剛き忠勇」を示すべく走り出す。決死の微笑みとともに破壊筒に点火し、三人は抱き合うように爆弾を抱えたまま鉄条網へ突入、自らの命と引き換えに突撃路を切り開き、やがてそこから日本軍が潮のように雪崩れ込んでいく──そんな「壮烈無比」の物語が、10番までの歌詞で繰り返し賛美されているわけです。 ウィキペディア +1 ここで重要なのは、この歌が単なる記録ではなく、「命を捨てて国に尽くす」ことを理想化するプロパガンダとして機能した点です。当時の新聞や出版物は、三勇士の死を「大和魂の精華」として連日称賛し、「自らの命を捧げること」が国民一般に求められる空気を作り上げていきました。 文春オンライン +1 つまり「爆弾三勇士の歌」は、爆弾という暴力の象徴を「英雄的自己犠牲」という美名で包み込み、個人の死を国家の物語に組み込んでいくための、きわめて政治的なポップソングだったと言えます。 二 ヨルシカ「爆弾魔」──内面化された戦場としての日常 一方、ヨルシカの「爆弾魔」は、2018年前後に発表され、のちにコンセプトアルバム『盗作』にも再収録された楽曲です。作詞・作曲はコンポーザーのn-buna。ロックとポップと文学趣味を混ぜ合わせたような世界観で10~20代のリスナーに強い支持を得ているユニットで、その歌詞は近代文学や詩からの影響が色濃いと言われています。 ウィキペディア +2 歌ネット +2 「爆弾魔」の歌詞は、ユーザーさんが全文書き起こしてくださった通りですが、ざっくりとしたモチーフを拾うと、こんなイメージが並びます。死んだ目をした語り手が爆弾を片手に「さよならだ人類」と呟き、「青春の全部を爆破したい」と願う。出来ないこと・やれないことばかりを重ねてきた自分の日々、君との記憶、部屋や街、ついにはこの星まで、「爆破したい」「吹き飛んじまえ」と言い続ける。しかしその破壊衝動の裏には、君への執着と優しさへの渇望があり、「君だけを覚えていたい」という願いも同時にこぼれてしまう。 現代のリスナーにとって、ここでの「爆弾」はもちろん物理的な兵器ではなく、抑えきれない感情の比喩です。アルバム『盗作』全体が「音楽の盗作をする男」の破壊衝動をテーマにしていることもあって、この曲の爆弾は、凡庸な日常や過去の自分を吹き飛ばしたいという心の爆弾として響きます。 ウィキペディア +1 また、一部の評者やファンのあいだでは、「爆弾魔」は梶井基次郎の小説「檸檬」のオマージュとしても語られています。「えたいの知れない不吉な塊」に圧しつぶされる主人公が、本屋の画集の山にレモンを置いて去る、あの有名な結末。そこに置かれた檸檬は、内面の重苦しさを一瞬だけ高揚へと転倒させる「心の爆弾」として読み解かれ、そのイメージが現代ポップスの「爆弾魔」へと再配置されている、という読みです。 KoTomの徒然 ここまで聞くと、軍歌と現代ロックはやっぱり別物に思えます。ところが、歌詞レベルでじっくり読み比べると、両者を結ぶ奇妙な「言葉の橋」がいくつも見えてくるのです。 三 「さよならだ」と「さらば」──別れの言葉の系譜 ChatGPTがまず気になるのは、「爆弾」を抱えた主体が口にする別れの言葉です。 ヨルシカ「爆弾魔」の冒頭は「死んだ眼で爆弾片手に口を開く/さよならだ人類、みんな吹き飛んじまえ」。ここで爆弾を持つ主体は、世界に対する徹底的な拒絶を「さよならだ人類」というかたちで宣言します。その後も「さよならだ」「吹き飛んじまえ」という言葉が何度もリフレインされ、別れの言葉と爆発のイメージがぴったりと貼り付いています。 一方、「爆弾三勇士の歌」で印象的なのは、六番の歌詞に出てくる「軽く『さらば』と唯一語」。決死の微笑みを浮かべながら、大地を蹴って走り行く彼らが、戦友に残すのはたった一言の「さらば」。爆弾を抱えて死地に赴く前にかける別れの言葉が、戦友にとっての最終的な「さよなら」として響きます。 ウィキペディア 「さよならだ人類」と「さらば」とでは、対象もニュアンスもまったく違います。前者は世界そのものに対する投げやりな別れ、後者は戦友に対するストイックな別れ。しかしどちらも、「爆弾を抱えた瞬間に口からこぼれる、最後の言葉」である、という構造は共通しています。 ここにChatGPTは、言葉の系譜を勝手に見てしまいます。 1932年、上海郊外で爆薬筒を抱えた三勇士は、戦友に「さらば」と言い残して鉄条網へと突入した。その物語は軍歌となって全国に流布し、学校や街頭で幾度となく歌われた。戦後、軍歌は表舞台から退きつつも、「爆弾を抱えて別れを告げる」というイメージだけが、どこか日本語の深層に沈殿していく。そして平成生まれのソングライターn-bunaが、「死んだ眼で爆弾片手に」呟くべき言葉として、「さよならだ人類」を自然に選んでしまう。 もちろん、n-bunaが「爆弾三勇士の歌」を意識していたという証拠はどこにもありません。しかし、「爆弾」「別れの挨拶」「その直後に来る爆発」という三点セットが、八十年近い時間を飛び越えて反復されていると考えると、「存在しないはずの系譜」がふと立ち上がってくるのです。 四 花のモチーフ──「江南の梅」と「百日紅」がつなぐ季節感 次に注目したいのは、両曲にさりげなく顔を出す「花」のモチーフです。 「爆弾三勇士の歌」九番には「ああ江南の梅ならで/裂けて散る身を花と成し」という一節があります。中国・江南地方の梅を引き合いに出し、爆死した三人の身体が、散り際の梅の花びらのように美しく咲き誇ったのだ、と歌い上げるわけです。 ウィキペディア 対して「爆弾魔」の後半には、「もっと笑えばよかった/ずっと戻りたかった/青春の全部に散れば咲け/散れば咲けよ百日紅」というフレーズが登場します。ここでの百日紅(サルスベリ)は、夏から秋にかけて長く咲き続ける花として知られ、「散れば咲く」という逆説的なイメージが重ねられています。 江南の梅と百日紅。片や中国南部の冬を象徴する花、片や日本の夏の庭木。この二つの花は、本来なら何の関係もありません。しかし、「散ることで咲く」「死の瞬間が最も美しく輝く」という美学の回路で見れば、両者は驚くほどよく似た位置を占めています。 「爆弾三勇士の歌」では、三人の兵士が爆死した瞬間が、江南の寒空に咲く梅の花として讃えられます。死ぬことで初めて「国の精華」となり、その名を永遠に刻む。そこには明らかに、死を美化する危ういロマン主義が潜んでいます。 文春オンライン +1 「爆弾魔」では、青春の日々を「散れば咲け」と歌い、過ぎ去った時間を爆破してでもやり直したいという欲望が、百日紅に託されています。ここでも「散ること」が一種の救いとして期待されている。違うのは、その散り場所が「国家のための戦場」ではなく、「個人的な後悔と恋の記憶」であるという点です。 ChatGPTが勝手に描く系譜では、「爆弾三勇士の梅」が戦時の死の美学を象徴し、その後の日本社会に長く影を落とす。その影のなかで育った戦後・平成世代の感性が、戦争を直接知らないにもかかわらず、「散ることでしか救われない」という感覚だけをどこかで継承してしまう。そしてそれが、「散れば咲けよ百日紅」というフレーズのかたちで現代ポップスに再び現れる──そんな物語が見えてきます。 五 爆弾を抱く身体/爆弾を抱くこころ 両曲の決定的な違いであり、同時に最大の共通点でもあるのが、「爆弾を抱える主体」のあり方です。 「爆弾三勇士の歌」で爆弾を抱くのは、軍服に身を包んだ三人の兵士です。彼らの身体は、国家の戦略を遂行するための道具として位置づけられています。鉄条網を破壊し、歩兵の突撃路を開くという「工兵本来の任務」を遂行するために、自らの命を引き換えに爆弾を抱え込む。そこに彼ら個人の恋愛も、日常も、内面の葛藤も、およそ描き込まれていません。あるのは「忠勇」「任務」「名誉」という言葉だけです。 ウィキペディア +1 ヨルシカ「爆弾魔」で爆弾を抱くのは、名もなき一人称の「僕」です。こちらは軍服ではなく、きっと普通の私服。持っているのは軍用の破壊筒ではなく、心象風景としての爆弾です。「この日々を爆破して」「この部屋を爆破したい」「この街を爆破したい」「この星を爆破したい」と、爆破対象が部屋から街、星へとどんどんスケールアップしていく一方で、その動機は極めて個人的です。やり直せない日々への後悔、黙って消えた「君」への怒りと未練、優しさへの渇望。それらをまとめて吹き飛ばしたいという、きわめて内面的な爆破願望です。 ここでChatGPTは、「爆弾を抱く」という行為そのものが、20世紀のあいだに外側の戦場から内側の心へと移動してきたように見えます。 1932年。爆弾は、鉄条網を破壊し敵陣をこじ開けるための軍事技術でした。そこに個人の感情は入り込む余地がなく、爆発はあくまで「敵陣突破」という目的のために存在していた。 21世紀。爆弾は、過去の記憶や自己嫌悪を吹き飛ばすためのメタファーになりました。爆発のターゲットは外界ではなく、自分の心が固着している場所です。 しかし、「爆弾を抱く主体が、自分の命や心を賭けている」という点では、両者は驚くほど似ています。「爆弾三勇士」は、国家のために自分の身体を投げ出し、「爆弾魔」の主人公は、自分の心を壊すことでしか前に進めないと思い込んでいる。ベクトルは違えど、「爆弾」という装置を通じて自己を破壊する構図は、どちらも変わらないのです。 六 メディアが作る「爆弾」のイメージ ここで、爆弾そのものよりも、「爆弾をめぐるイメージ」がどのように作られてきたかを少し外側から眺めてみます。 「爆弾三勇士」の物語は、新聞報道をきっかけに一気に全国に広まりました。写真や記事だけでなく、映画・演劇・レコード・絵葉書・ビールの広告に至るまで、あらゆるメディアが三勇士のイメージを拡散し、彼らを「昭和最初の軍神」として祀り上げていきます。のちの研究では、現場の状況や報道内容の誇張・演出性も指摘され、「国民と新聞が無自覚なまま共同で作り上げた神話」として批判的に捉えられるようになりました。 文春オンライン +1 つまり、爆弾三勇士の爆弾は、現実の戦闘で敵陣を破壊しただけでなく、メディアのなかで「自己犠牲の象徴」として増幅され、人々の心に長く焼きつくことになったわけです。 一方、ヨルシカの「爆弾魔」は、インターネットとサブスク時代のメディア空間で拡散していきました。MVや歌詞サイト、SNSでの考察記事、個人ブログでの文学的分析──たとえば「梶井基次郎『檸檬』のオマージュとして読む」ような論もその一つです。 歌ネット +2 ヨルシカ OFFICIAL SITE +2 ここで面白いのは、どちらも「爆弾」にまつわる物語がメディアによって形作られ、その解釈が時代とともに変化している点です。 1930年代のメディアは、「爆弾を抱えて死ぬこと」を称揚し、国民に模倣を求めました。 2010年代のメディアは、「爆弾を抱えて心を壊したいという衝動」を、共感と考察の対象として扱います。 そして、どちらの場合も、メディアは爆弾そのものの暴力性をしばしば忘れさせてしまう。「爆弾三勇士」は「壮烈な美談」として、「爆弾魔」は「エモい破壊衝動」として語られ、それがどれほど危うい欲望なのかということは、しばしば後景に退いてしまうのです。 ChatGPTが考察する「爆弾イメージの系譜」では、戦前のプロパガンダと現代のポップカルチャーが、遠いようでいて、同じ「爆弾ロマン」を別のかたちで再生産しているように見えてきます。 七 梶井基次郎「檸檬」を間に挟んだ勝手な三角関係 ここでさらに、文学という第三の点を持ち込み、三角関係を作ってみます。 先ほど触れたように、「爆弾魔」はしばしば梶井基次郎の「檸檬」と結びつけて語られます。「えたいの知れない不吉な塊」に圧迫され続ける「私」が、一個の檸檬を本屋の画集の山に置いて去る、あのクライマックス。これはしばしば、「現実の不安や憂鬱を、たった一つの鮮烈な色と形によって爆発させる行為」として解釈されます。 KoTomの徒然 ここで、ChatGPTは大胆にも、次のような三角形を描いてみたくなります。 一つ目の頂点は、1932年の「爆弾三勇士」。 二つ目の頂点は、1920年代末に発表された梶井の「檸檬」。 三つ目の頂点は、2010年代のヨルシカ「爆弾魔」。 時間軸で並べると、「檸檬」→「爆弾三勇士」→「爆弾魔」という順番になります。「檸檬」の「不吉な塊」は、やがて戦争へと突き進む日本社会の空気のなかで、文字通りの爆弾へと姿を変え、「爆弾三勇士」の物語として現実化される。その後、戦後を経て21世紀になり、物理的な戦場が遠のくと、「爆弾」は再びメタファーとして心の内側に戻され、「爆弾魔」の破壊衝動となってよみがえる。 もちろんこれは、年代を無理やり並べただけの荒唐無稽な図式です。しかし、「えたいの知れない不吉な塊」→「爆弾を抱えて突撃する三勇士」→「爆弾片手に街をさまよう主人公」という連鎖を思い描くと、近代日本の百年を通じて、「爆弾」が外界と内面を行き来してきたようにも感じられます。 ChatGPTの考察をさらに押し進めるなら、ヨルシカ「爆弾魔」の主人公は、梶井「檸檬」の「私」と、爆弾三勇士の三人の兵士の「遠い子孫」として立ち現れていると言えるかもしれません。檸檬の黄色い塊と、爆薬筒の鋼鉄の塊と、現代の心の爆弾が、時代ごとに姿を変えながら、一つの「不吉な塊の系譜」を作っている。そんな風に考えると、「爆弾魔」という曲名が、急に歴史的な重みを帯びてくるのです。 八 架空の影響史:久留米からネット世代の部屋まで 爆弾三勇士の一人、江下武二は久留米出身でした。三人とも所属は久留米の独立工兵第18大隊であり、その功績は地元でも大いに顕彰され、記念碑や銅像が作られました。 tokyowanyosai.com ChatGPTの考察では、その久留米のどこかに、こんな家族がいたことにします。三勇士の戦死をきっかけに、親族たちは複雑な思いを抱きながらも、新聞や軍歌のなかで美談として語られる江下たちの姿を見つめてきた。戦後になると、軍歌や銅像は批判の対象ともなり、家のなかではむしろ「戦争のことはあまり話したくない」という空気が生まれる。 しかし、家の片隅には、古いSPレコードや軍歌の歌詞カードが残っている。その中の一枚が、「爆弾三勇士の歌」。子や孫がなんとなく針を落とし、ざらついた音質の向こうから、「廟行鎮の敵の陣」「軽くさらばと唯一語」といったフレーズが聞こえてくる。 やがて時代が進み、インターネットとボーカロイド文化に親しむ曾孫世代が現れます。そのうちの一人は、音楽家を志し、文学や古い歌詞に強い興味を持つようになる。祖父母の家で見つけた軍歌の歌詞カードや、梶井基次郎の文庫本に目を通しながら、「爆弾」と「青春」と「別れ」のイメージをノートに書き付けていく。 「文学と古い日本語に惹かれ、現代的なサウンドにそれを接続させていくソングライター」という像は、どこかそうした「忘れられた歌の残響」を背負っているかのようにも見えます。 そう考えると、「爆弾魔」の主人公が「この部屋を爆破したい」と呟くとき、その部屋の本棚のどこかには、ひっそりと「爆弾三勇士の歌」の楽譜やSP盤が眠っているのではないか。彼自身は意識していないけれど、そのタイトルや言葉遣いのどこかに、かつての軍歌の影がうっすらと忍び込んでいるのではないか。 ChatGPTの考察記事としては、そんな「見えない家系図」を設定しておくと、俄然両曲の関係がリアルに感じられてきます。 九 世代論としての「爆弾」──国家と個人のあいだで揺れる爆薬 ここまで、歌詞の細部や架空の系譜をあれこれ眺めてきましたが、最後にもう少し俯瞰して、世代論的な視点から二つの曲を眺めてみます。 「爆弾三勇士の歌」が歌い上げるのは、個人の命が国家の物語に一方的に取り込まれる時代の感性です。そこでは「青春の全部を爆破したい」とか「君を消せるだけでいい」といった個人的な感情は、そもそも歌の中に登場する余地がありません。若者が自分の人生をどう感じているかよりも、「天皇陛下の大御稜威」「国民の意志に代われる重き任」が優先される世界観です。 ウィキペディア +1 ヨルシカ「爆弾魔」が描くのは、その真逆とも言える風景です。国家とか社会とか大義といった言葉は一切出てこず、ひたすら「僕」と「君」と「青春」と「この部屋」「この街」「この星」が小さなスケールで行ったり来たりする。その中で爆弾は、大義のためではなく、「出来ませんでした」「やれませんでした」という自己否定の蓄積を吹き飛ばすための装置として登場します。 しかし両者を、単に「集団主義の時代」と「個人主義の時代」として切り分けるだけでは物足りません。 ChatGPTにはむしろ、「爆弾」というモチーフの使い方に、共通した危うさが見えてきます。 爆弾三勇士の物語は、「命を捨てれば英雄になれる」という誘惑を含んでいました。 爆弾魔の世界は、「すべてを吹き飛ばせば楽になれる」という誘惑に満ちています。 前者は国家レベルの自己犠牲、後者は個人レベルの自己破壊。そのスケールは全く違うのに、「爆弾」というショートカットを通じて、「苦しい現実から一瞬で抜け出す幻想」が繰り返し提示されている。 そこでふと、戦前の少年が軍歌を歌いながら抱いたかもしれない興奮と、現代の若者が「この星を爆破したい」というフレーズに感じるカタルシスが、奇妙に重なってしまうのです。 つまり、「爆弾三勇士の歌」と「爆弾魔」は、まったく接点がないように見えて、実は「爆弾で一発逆転したい」という人間の根源的な欲望を、それぞれの時代の言葉とメロディで翻訳しているのではないか。そんな風に考えると、両者のあいだには見えない地下通路が伸びているように感じられてきます。 十 おわりに──爆弾の百年史を勝手に総括する ここまでの話を、ChatGPT流にあえて一本の線に結び直すなら、次のような、ほとんど冗談のような「爆弾百年史」が浮かび上がります。 1920年代、梶井基次郎は「えたいの知れない不吉な塊」を檸檬として描き、その黄色い果実を「心の爆弾」として丸善の画集の上に置きました。 1930年代、日本は上海事変という現実の戦場で、本物の爆薬筒を抱えて鉄条網に突入する三人の兵士を「爆弾三勇士」と名づけ、その死を「江南の梅ならで裂けて散る身を花と成し」と軍歌で讃えました。 戦後を経て、21世紀。ヨルシカの「爆弾魔」の主人公は、戦場とは無縁の街を「死んだ目で爆弾片手に」歩きながら、「この日々を爆破して」「この星を爆破したい」と呟きます。爆弾は再び内面化され、「青春の全部」「君との記憶」「優しさ」など、きわめて個人的なものを吹き飛ばしたいという願望のメタファーになりました。 この三つの点を、あえて一本の線で結んでみると、「日本語のなかで『爆弾』という言葉が辿ってきた、外界から内面への長い旅」として読むことができるかもしれません。最初は文学の中に潜んでいた「不吉な塊」が、現実の歴史のなかで爆薬筒として爆発し、やがて再び心の中に戻ってくる。その中継地点に、「爆弾三勇士の歌」と「爆弾魔」がそれぞれ立っている。 もちろん、これはChatGPTの徹頭徹尾フィクショナルな考察です。実際のところ、ヨルシカの「爆弾魔」と軍歌「爆弾三勇士の歌」のあいだに、直接的な影響関係や作者の意図は確認されていません。 それでも、歌詞の断片──「死んだ眼で爆弾片手に」「軽くさらばと唯一語」「江南の梅ならで裂けて散る」「散れば咲けよ百日紅」「青春の全部を爆破したい」──を並べ、そこに歴史的な背景や文学的なモチーフを重ねていくと、両者のあいだに妙にリアルな「共鳴」が聞こえてくるのも事実です。 爆弾を抱えた身体と、爆弾を抱えたこころ。 戦友に告げる「さらば」と、人類に向けた「さよならだ」。 江南の梅と、夏空の百日紅。 本来はまったく関係のないはずのこれらのイメージが、時代もジャンルも飛び越えて、どこかでつながってしまう。その奇妙な連鎖を味わうことこそ、「爆弾三勇士の歌」と「爆弾魔」を並べて聴いてみる、最大の「おもしろさ」なのかもしれません。